2025年05月19日
北方4島物語
投稿12回目:R7/5/19日(月)◎第二章:【サンフランシスコ平和条約】会議までの経緯
〇1999(平成11)年12月31日、プーチンロシア連邦大統領が誕生し、森喜朗首相、、小泉純一郎首相、安倍晋三首相とした日本国首相との会談が再開されます。
◇2000(平成12)年4月5日から2001(平成13)年4月26日までとする森政権が誕生します。
◇2000(平成12)年9月「プーチンロシア連邦大統領」「森喜朗首相」、との会談記録
(1)【平和条約】の問題に関する両首脳の声明において
―クラスノヤルス合意の実現のための努力を継続することを確認。
-これまでの全ての諸合意に立脚して、4島の帰属の問題を解決することにより【平和条約】を策定するため交渉を継続することを確認。(2)プーチンロシア連邦大統領が「1956年宣言は有効であると考える」と発言した。(3)プーチンロシア連邦大統領は、川奈会談は、日本側の「勇気と熟慮の成果」であったとしながらも、「妥協については我々の考え方」と完全に一致していないとして拒否した。
◇2001(平成13)年3月25日に訪露されたモスクワのイルクーツクで会談され声明が採択され、「日ロ両国」が、クラスノヤルスク合意に基づき【平和条約】の締結に向けて全力で取り組んできた結果を総括し、新たな基礎を形成した。
◇2001(平成13)年3月イルクーツク首脳会談、イルクーツク声明において、(1)1956年【日ソ共同宣言】を交渉プロセスの出発点と位置づけ、その法的有効性を文書で確認した。(2)その上で、東京宣言に基づいて、4島の帰属の問題を解決して、【平和条約】を締結するとの日露共通の認識を再確認した。
〇1999(平成11)年12月31日、プーチンロシア連邦大統領が誕生し、森喜朗首相、、小泉純一郎首相、安倍晋三首相とした日本国首相との会談が再開されます。
◇2000(平成12)年4月5日から2001(平成13)年4月26日までとする森政権が誕生します。
◇2000(平成12)年9月「プーチンロシア連邦大統領」「森喜朗首相」、との会談記録
(1)【平和条約】の問題に関する両首脳の声明において
―クラスノヤルス合意の実現のための努力を継続することを確認。
-これまでの全ての諸合意に立脚して、4島の帰属の問題を解決することにより【平和条約】を策定するため交渉を継続することを確認。(2)プーチンロシア連邦大統領が「1956年宣言は有効であると考える」と発言した。(3)プーチンロシア連邦大統領は、川奈会談は、日本側の「勇気と熟慮の成果」であったとしながらも、「妥協については我々の考え方」と完全に一致していないとして拒否した。
◇2001(平成13)年3月25日に訪露されたモスクワのイルクーツクで会談され声明が採択され、「日ロ両国」が、クラスノヤルスク合意に基づき【平和条約】の締結に向けて全力で取り組んできた結果を総括し、新たな基礎を形成した。
◇2001(平成13)年3月イルクーツク首脳会談、イルクーツク声明において、(1)1956年【日ソ共同宣言】を交渉プロセスの出発点と位置づけ、その法的有効性を文書で確認した。(2)その上で、東京宣言に基づいて、4島の帰属の問題を解決して、【平和条約】を締結するとの日露共通の認識を再確認した。
Posted by たからふじ at 06:58│Comments(0)