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2025年05月16日

北方4島物語

投稿10回目:令和7/5/16(金)
〇2章b:【日ソ共同宣言】が調印されるまで
◇1956(昭和31)年10月「ソビエト連邦」との間で【平和条約】を結ぶため、日本国代表団がモスクワを訪れます。ソビエト連邦政府は、1945(昭和20)年9月5日を始まりとして実行支配している、北方4島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)の中の(色丹島、歯舞群島)の2島を日本国へ返還を行うことを持って、日本国と【平和条約】結ぶと提案します。この条件に対し、日本国は(択捉島、国後島)の2島を織り込むとした4島の返還を強く主張します。そのため両国の交渉が折り合わず、当初【平和条約】の締結を目指していましたが、最終的には、【平和条約】に代えた【日ソ共同宣言】が調印されました。10月19日に「鳩山一郎日本国首相と「ブルガーニンソビエト連邦」首相が【日ソ共同宣言】に署名し、これにより、「日本国とソビエト連邦」間の戦争状態の終結と国交回復」がされることとなります。その際,ソビエト連邦政府は(色丹島、歯舞群島)の2島を「日本国」へ引き渡すことには同意する。但し、この2島は、【平和条約】が締結された後に、現実的に引き渡されるものと明記されました。



Posted by たからふじ at 05:54│Comments(0)
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